丸木美術館から考える

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建物入り口付近

8/6は広島・8/9は長崎。それに合わせて、8/4は詩のワークショップクラスで丸木美術館を訪れました。筆者(=用務員)は25年ぶりくらいの再訪、感慨深いものです。生涯にわたって戦争の悲惨な図像を描き続けた丸木位里・俊さんたちの住居でもあった場所。緑が美しい。そばの土手を下ると都幾川(ときがわ)が滔々と流れています。

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前庭

 

この日、解説を担当してくださったボランティアガイドの小高さんによれば、丸木位里さんの故郷・広島県安佐郡飯室村(=現・安佐北区)に流れる太田川によく似ている、とのこと。原爆が投下されて70年以上が経過していますが、美術館のそばを流れる都幾川を眺めていると、なにかふつふつと想いがよぎります。

作品はただただ圧巻です。撮影できないので写真はありませんが、原爆の図から始まり、焼津の第五福竜丸、アウシュヴィッツ、南京大虐殺、水俣まで、20世紀という時代がもたらしたあらゆる災厄が、これでもか、これでもか、というくらいに眼前に押し寄せてくる。このあまりに巨大な作品群にどう向き合えばいいのか、言葉を失ってしまいます。

小高さんは「中心のない描き方」を指摘します。確かに、2Fの壁一面に掛けられた屏風のひとつひとつの画角は、どこをとっても中心であり、どの部分もいわば主人公のような描き方。部分は全体でもあり、でも全体はどう考えても巨大過ぎるので、全体が全体をはみ出しているかのよう。言葉を発しようとしても分節がない。だから黙らざるを得ない。

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写真右端がガイドの小高さん

1Fの最奥にあるアウシュヴィッツ〜南京大虐殺〜水俣も同様で、もはやこれは単なる絵画ということを超え、詩のない叙事詩、音のない音楽、作家たちの情念や呼吸、人生そのもの、だったとしか言えない。沖縄の佐喜眞美術館の展示を幾度も観に行ったことがあるのですが、丸木位里・俊の作品とは、鑑賞し研究するようなものではなく、現地に赴くことそのこと自体であるかのようです。

寄付

館内にちらしが置いてありました。ちらし下部に、「丸木美術館は、行政や企業の支援に頼らず、市民の力に支えられてきました。これからも自由で自立した活動のできる美術館として、歴史をつないでいきたいと願っています。」とあります。ここは佐喜眞美術館と同様、いわゆる公共の美術館と異なり、税金に頼らずに運営されているのです。ゆえに、作品の保存や館のメンテナンスなどが困難であることは想像に難くありません。

中国新聞記事

ちらしの裏面には中国新聞の記事が掲載されています。丸木美術館の経緯やこれからを非常に簡潔にまとめてある優良な記事とみえ、参考までにアップしておきます。なお、丸木美術館のことだけではなく、政治と芸術という問題系や、閉塞した現代社会のあり方にも言及しており、まさにいま議論されている渦中のテーマでもあるでしょう。

右を向いても左を向いても、いわゆるヘイトスピーチが蔓延している時代。あいちトリエンナーレでは展示が中止になってしまう騒ぎが起きています。隣国との国交は最悪な事態に陥っているとの報道も聞こえてきます。それだけではなく、一国の大統領が平然と人種差別的な言辞を撒き散らす。それと連動するかのような乱射事件。

いまはほぼファシズムの時代に違いありません。表現の自由を脅かす自由が跋扈しているのです。人々はナチス・ドイツを忘却しようとし、大日本帝国の大罪を隠蔽しようと躍起になっている。なにがそうさせるのでしょうか。なぜ悪夢の歴史がこうも精妙に反復するのでしょうか。

答えは簡単ではありません。しかし、この答えが簡単ではないからといって答えないようにすることは簡単なのかもしれない。いつしか思考が停止し、批評を失い、いつのまにか反知性主義に流され、ついに暴力に転化する。そこにはおびただしいルサンチマンが、根拠のない言辞が、圧倒的な想像力の欠如が明確に介在する、そのような構造だけははっきりとしています。

丸木美術館が問いかけることとは、今日の芸術のあり方だけではありません。表現とは果たして自由なのか、不自由なのか。そもそも、そのような単純な二元論が成立するような作品群とも思えない。では自由とは一体何なのか。

そして、民主主義がとうに不在なのだとしたら、どう取り戻すのか。いや、どこまでも曖昧で誰もが迷い戸惑うだけの民主主義なのであれば、別個の民主主義が至急必要なのかもしれない。それはどこにあるのか、あるものなのか。そんなふうに思考せよと、歩み続けよと、語りかけてくるような気がしてならないのです。

 

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